ジンギスカンだらけ その3

すっかり間があいてしまいましたが今回が最終回。
誰も待ってなかったと思いますがwww

その1 その2


日本人にとってのジンギスカン
橋本 あと今振り返ると、当時ドイツはベルリンの壁で東西に分断されていたんですが、ジンギスカン(チンギス・ハーン)はつまりモンゴル人民共和国だから東ヨーロッパ側に属するわけで、その名を冠した曲が西ドイツから生まれたというのが、日本人からすると、神秘的な感じがしました。
不可侵領域というか。
−彼らのもう1つのヒット曲「めざせモスクワ」(原題:Moskau)にしても、当時は東西冷戦真っ最中でしたよね。
萩原 しかも、西ドイツはモスクワオリンピックをボイコットしてるし。
橋本 ジンギスカンの最初のメンバーであるルイスは南アフリカ出身ですが、南アフリカといえばアパルトヘイトが大問題になっていた。
ジンギスカンには政治的にも興味深い部分がいろいろあるんですよね。
萩原 もともとジンギスカンは、ドイツの音楽プロデューサーと経済学者が、ヨーロッパで最も有名な国際大会「ユーロビジョン・コンテスト」に参加するために作ったグループで、言わば、他のヨーロッパ諸国に勝つための、西ドイツの威信を背負ったグループなんですよね。
橋本 でも結局4位だったらしいですが……。
萩原 負けちゃった(笑)
橋本 あとね、日本人にとってジンギスカンというのは不思議な縁があって、源義経が生き延びて後にチンギス・ハーンになったという「義経伝説」もそうだし、極めつけはなんといってもジンギスカン料理ですよ。
ジンギスカン料理って日本人が作った料理ですから。
僕は北海道出身ですけど、北海道では運動会のお弁当の時間に、プロパンガスを持ち込んでジンギスカン料理を食べてましたから。
カセットコンロじゃなくてプロパンガス!
それも学校のグラウンドで(笑)
道人にとってジンギスカンはそのぐらい特別な料理なんです。
−いやあ、ジンギスカンってイデオロギーてきにも文化的にも深いんですねえ。
萩原 このCDの打ち合わせの時も結構話が熱く盛り上がってるんだけど、終わった後に「私たち何やってたんだろう?」って。
橋本 「俺たち何でこんなに熱く語ってるんだ?」と我に返る。
萩原 AV見終わった後みたいな感じ(笑)
AV感いいうか。
橋本 そうか。ああ、今までなんで俺がジンギスカンに惹かれてたのか、今わかった!
萩原 でも橋本さんはこういうものから目を背けちゃいけないような気がする(笑)
−僕は今回このCDを聞いて、初めてジンギスカンの奥深さを知りました。
これほどバラエティに飛んでいるとは予想外で、世界にはいろんなジンギスカンがあるんだなあと。
音楽世界旅行とでも言えるような。

橋本 世界旅行といっても、ドイツとノルウェーフィンランドだけなんですけどね(笑)
萩原 意外と狭かった(笑)
アメリカ産のジンギスカンはなかったんですか?
橋本 僕が調べた限りなかったですねぇ。
萩原 だからアメリカ人にはわからないんだよ。
橋本 多分アメリカ人はチンギス・ハーンのこともよく知らないだろうし、モンゴル?どこそれ、みたいな感じなんじゃないですかね。
萩原 人種のリトマス試験紙みたいなものですよ。
ジンギスカンを聞いてグッとくるかこないかで、自分が何処から来たのかわかるという(笑)


ハロプロイズム
−では収録曲の中で、みなさんオススメを教えて下さい。
橋本 僕は16曲目のペルレです。
これはiTunesで発見したんですが、最初聞いたときは衝撃でした。
他の曲はジンギスカンの暑苦しさを表現しているんですが、これは唯一ワイングラスとバルコニーが似合うアレンジで(笑)
荒木 僕は18曲目のウィグ・ワムですね。
ノルウェーでは人気のあるハードロックバンドで、日本にも来日していて、そのときもジンギスカンを演奏してました。
萩原 私はやっぱりBerryz工房のカバーがすごいと思った。
ミニモニ。ひなまつり!』を聞いた時の衝撃というか、誰がやらしてるんじゃ、こら!みたいな。
ある意味、裏ハロプロ・イズムを感じましたね。
あくまで「裏」ですが(笑)